佐用町
食べる
佐用名物「ホルモン焼きうどん」は、新鮮な牛ホルモンと野菜を鉄板で炒め、その後にうどんと若干の出し汁を入れて焼き上げます。食べ方は各店特製タレに浸けて食べます。 その味は格別で、一度食べたらやみつきになります。
見る
戦国時代、織田軍・毛利軍の激しい戦いの地となった上月城の歴史を展示しています。また、明治の中頃から作られていた早瀬土人形の展示や、古くから作られていた和紙「皆田紙」の紙漉きの工程写真や、紙漉き道具などの展示をしています。
戦国時代の織田と毛利の攻防の地として、また尼子家再興に燃えた山中鹿之介の最後の地として知られる上月城。その起こりは延元元年(1336年)赤松氏の流れをくむ上月次郎景盛が太平山に砦を築き、後に二代目盛忠がこの地に本拠を移したことに始まります。
南北朝期に、赤松一族の別所敦範が利神山に山城を築いたのは貞和5年(1349年)、楠木正行が四条畷に戦死した翌年です。以来、赤松一族の拠点として約二百年を経て、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦のあと、播磨52万石の領主池田輝政の甥、池田出羽守由之が平福領2万3千石の領主となりました。※落石等のおそれがあるため登城は控えていただいております。
江戸時代の町屋の代表的な建築様式を再現した資料館です。大屋根のけむり出し、くぐり戸のついたつりあげ大戸、葬式の際の出棺にだけ使う出口などの特徴があります。館内には、宿場を支えてきた商家の商い道具や民具類、利神城ゆかりの品々を展示しています。
法師塚がある山の斜面を利用した大規模なしゃくなげ園。日本しゃくなげと西洋しゃくなげ150種13,000本あまりが咲き誇ります。高山植物のしゃくなげが、標高わずか百メートル余の山の斜面に咲いています。
佐用町にそびえ立つ県指定天然記念物の大イチョウです。 これは赤松氏が全盛の頃にこの地にあった、如意輪山満願寺の境内に茂っていたイチョウで、いわば佐用の歴史の生き証人なのです。 台風で枝が折れ、幹を落雷で裂かれるなどの苦難にも耐てきたその威容は、佐用の象徴ともなっています。
大撫山山頂に広がる兵庫県立大学 西はりま天文台には、公開用としては世界最大の2mのなゆた望遠鏡を備えた天文台があります。天文台を中心に自然を生かした散策路やグループ・家族用ロッジの宿泊施設などの施設があります。
わずか30年で城下町としての用を終えた平福は、その後、江戸時代には因幡街道最大の宿場町として栄えました。城下町から宿場町へ。当時を物語る古文書、遺構・遺物など伝承されてきた歴史の断片が、町並みや生活品などに残っています。
歩く
宿場町「平福」は、因幡街道随一の宿場町として栄えたところで、「利神城跡」や「宮本武蔵初決闘の碑」などの旧跡が数多く残っています。街道沿いに連なる町並みには格子などの意匠が施され、また、街道の裏側になる佐用川沿いには、川座敷や土蔵群が軒を連ね、訪れた人々をノスタルジックな気分にさせてくれます。
体験
小高い山の中腹に建つ宿泊施設で、四方は鮮やかな緑の山々に囲まれ、下方には千種川の支流が流れています。日帰り利用も可能な「富士山溶岩風呂」は、富士山溶岩を特殊加工してできており、バナジウム、亜鉛、鉄、銅、カルシュウムなどが含まれ、肩こり、リュウマチ、アトピー、腰痛、切り傷、やけどなどに効能があります。
イベント
買う
千種川清流のほとりに建つ当館では、特産品である「ひまわり油」や「もち」の製造・加工を行っており、製造工程の見学の他、喫茶・軽食室では、コーヒー・軽食(うどん・もちを使った加工品)などをご賞味していただけます。
道の駅「宿場町ひらふく」は、平福の川端風景をモチーフとした外観。52席のレストランと30席の団体用和室、手作り食品を中心とした物産販売所、観光案内所、トイレを併設します。