南北朝期に、赤松一族の別所敦範が利神山に山城を築いたのは貞和5年(1349年)、楠木正行が四条畷に戦死した翌年です。以来、赤松一族の拠点として約二百年を経て、慶長5年(1600年)関が原の戦のあと、播磨52万石の領主池田輝政の甥、池田出羽守由之が平福領2万3千3百石の領主となりました。
由之は利神山上に5年の歳月をかけて広壮な城郭を造営し、山麓には城主屋敷、武家屋敷を配し、さらに、街道沿いに町人地を設けるなど、城下町の建設に着手しました。
利神山上の三層の楼閣は、あたかも雲を衝くがごとき威容から「雲突城(うんとつじょう)」と呼ばれました。山頂(標高373メートル)に登れば、本丸、二の丸、大坂丸などの石垣群が今も昔の姿をしのばせています。
石垣崩落の危険性があることから、一般のお客様の入山は禁止しています。入山を希望される場合は、佐用山城ガイド協会が実施する「 利神城ガイドツアー 」に限り入山することが可能です。
《最寄駅》智頭急行 平福駅